そうめんに思いを馳せると、風鈴の音や扇風機といった夏の日の風景が頭に浮かびます。
日本でいつも夏を過ごす人にとって、そうめんは夏の風物詩といえるでしょう。
そんな私たちに馴染みのあるそうめんですが、いつから日本の夏の風物詩になったのでしょう。
これから始まるそうめんが活躍する季節に向けて、いつからそうめんが食べられてきたのか、学んでいきましょう。
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そうめんはいつから食べられていた?
そうめんには非常に長い歴史があります。
1700年も前に中国・魏の時代に誕生したと言われており、もともとそうめんという名前ではなく、「索餅(さくもち)」と呼ばれるお菓子が起源とされています。
現在はそうめんの材料にいつも小麦粉を使用していますが、もともとの「索餅(さくもち)」は餅米を細かくしひねり合わせて成形をし作られていたようです。
そうめんの発祥はどこなのか
中国でそうめんが誕生し、奈良時代に遣唐使が日本に持ち帰ったことによりそうめんが日本に伝わったとされています。
もともとは貴族のような位の高い人のみがいつもそうめん=「索餅(さくもち)」を食べておりましたが、鎌倉時代に現在のそうめんの製法に近いものが誕生し、江戸時代になりようやくそうめんは庶民の手に届き始めたとされています。※諸説あります。
そうめんがいつも夏に好まれるのはなぜか
そうめんはもともといつも貴族の食べ物であったことから、庶民の食卓に登場するまでには寺で振る舞われることや行事用の縁起物の食事として、いつも長く親しまれてきました。
そうめんが夏の食卓に登場することが多い理由は、行事食の中でも七夕の日に食べられてきたということが大きく関係しています。
そうめんと七夕の関係
七夕は節句の中の夏の行事です。
なぜ、夏の節句である七夕にそうめんが食べられていたのでしょう。
もともと、そうめんの起源である中国で生まれた「索餅(さくもち)」は、中国の偉い人の子供の大好物だったそうです。その子供が7月7日に亡くなり疫病を流行らせたとか・・・そこで大好物の「索餅(さくもち)」をお供えしたところ、疫病の流行が治まった、という言い伝えのもと「無病息災」の祈願として夏の節句である七夕にはそうめんを食べる慣わしが根付いたと言われています。※諸説あります。
ちなみにこの疫病を流行らせた子供は亡くなった時に一本足の鬼になったそうで、七夕に食べるそうめんは「鬼のはらわた」とも言われているそうです。
(鬼滅の刃のお話のような・・・!悲しいエピソードです。)
そこから遣唐使によりそうめんが日本に伝わり日本の文化の中に取り入れられてからは、
平安時代の書物である「延喜式」にて、そうめんを食べると大病にかからないと書かれてから一般家庭に普及したと伝えられているそうです。
そのほかにもそうめんと七夕の関係については、非常にたくさんの言い伝えがありますので、伝記を読むつもりで、そうめんの歴史について調べてみることも面白いと思います。
そうめんをいつまでも美味しく食べるために
そうめんの見た目は非常にシンプルなので、ついするすると何も思わず喉に運んでしまいますが、節句の時に食べられてきた縁起物の食べ物です。
時代背景を思いながら今年の夏は大切な人の無病息災を祈り、そうめんを美味しくいただきましょう。
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